どん底時代へ。

2008年3月末、遂に初単独公演が実現ッッ!ってコトで、ファンはヒートアップした。前週の石丸イベはかつてない動員450名近くを入場させて会場はギュウギュウ詰めの超熱気のミニライブとなって。いやが上にも初単独への期待が高まった。

が、初単独の横浜BLITZ。そのライブは、ポッシボーの「良さ」が全くない、まるでハロプロのよぅな、いや、ハロプロそのものの「台本通り」「脚本通り」のライブだった。ポッシボーの最大の持ち味「フリーの良さ」ってのが全く無い公演だった。


ソコから凋落の時代が始まった。


ポッシボー初単独を期に、コレを一段落に、現場を去って行ったファンが多数居た。ポッシボーらしさの全くない、ハロプロ同様のライブなら、本家ハロ紺のが良いもんね。そぅやって初単独の600人の集客をピークに、動員を減らして行くことになる。

動員の減少は、でも当時は緩やかなモノで、ファンも運営も気づいていなかった。気づいていなかったが故に、ドンドンと「間違った方向」へと進んで行くコトとなった。

メジャーデビュー2ndシングル「いじわる Crazy Love」では、ハロプロ同様の「選民イベ」CD封入の抽選券でイベ申込みなんて施策を行い、ファンを醒めさせるコトを行った。「ソレじゃハロプロと一緒じゃん」ってね。

また、NGP!ツアーと称して、東名阪でホール紺を実施、その間尺に合わない大規模ホールでのライブで、ガラ紺状態に。支援にエッグメンをゲストに呼ぶが、焼け石に水状態だった。

当時のポッシボーのライブは、セットリストはワンパターンだったし、何より台本ライブでMCも何もかも、ポッシボーの良さを発揮できていないモノだった。無理な東名阪ライブの成果は、ただファンを消耗させ集客を減らすだけだった。

この時代、「アイドル戦国時代」で多数のアイドルちゃんが乱立した時代。ポッシボーより楽しいッッ!って感じる処に、ドンドンとファンが流出して行った時代でもあったし。年齢的にも高校生以上のメンバーとなったポッシボー。性的倒錯者のロリコン連中からは見限られ、認知厨接触厨も去った。

当時は相変わらずubka体制で、意味不明な「メディア露出しない」「口コミでファン拡大する」なんてコンセプトで活動してたポッシボーで。ハロプロという看板が無くなり、webも積極的にPRしてないし、他アイドルフェスにも出る訳でもない「鎖国」状態で活動してた。

誰もポッシボーを知る人が居ない中での活動。ファンが増える訳が無いよね(>_<)

固定ファンが支え続けて、よぅやっと生きながらえていた2009〜2010年頃。更にファンを裏切るよぅな活動を、運営が行って行く訳。
ソレはTHEポッシボーとしての活動を止め、MM学園やソロ活動に重点を置く。ってな、ファンにとっては意味不明な状況になっていって。

この頃は、チアにボーリングに落語にゴロゴロベッドと、全くファン不在の活動を繰り返していた訳で。この状況に心折れてポッシボー現場を去るファンが増大、遂に動員100人を切るよぅになって行く訳で。

新曲は無い。イベやライブはワンパターンのセトリ。コレで盛り上がれ!ファンを増やせッッ!!ってのは、やはり無理で(>_<)


THEポッシボーの「どん底」の時代を作った「戦犯」。ソレは、、、やはり運営の戦略ミスに尽きるんだろぅね。 ライブ活動しないアイドルを、ユニット活動しないアイドルを、ファンの望まない活動しかしないアイドルを、誰が応援するんだろぅか? って単純な話。


メンバーが悪かった訳じゃあ無い。ロビンたちポッシボーの6人は、相変わらず可愛いし歌もダンスも上手いし頑張っていた。が、運営があまりにもお粗末だったコトが、結果ファンを減らし、どん底へと落ちて行くコトになった訳で。