2006年 THEポッシボー始動。

ってコトで、今週ツイッターでTHEポッシボーの昔話をツラツラとupしてきましたが、
皆さん見てくれました?笑
一通り、ツイートをまとめてみましたので、お時間ある方は是非とも。

2006年の時代背景を鑑みると、あの時にデビューしたタイミングは最高だったんだけど、な。2008年メジャーデビューまでは。

2006年ってのは、アイドル戦国時代の幕開けで、一大アイドルブーム到来の時代。そしてハロプロ界隈で言えば、berryz工房が開拓したローディーンアイドル好き層が活性化してきた時代。そしてハロプロ界隈ではエッグが注目されてきていた時代。

そんな時代にTHEポッシボーはデビューした訳で、タイミング的には最高だった。メディア露出を避けるプロデュースだった為に、その活動は現場のみの閉鎖的なモノだったが、口コミでファンは右肩上がりに急増。そして2008年にはメジャーデビューを飾るコトになった。が、、、

2008年以降、ポッシボー低迷期を迎えた最大の理由。ソレは、、、プロデュースの失敗、つんく♂氏の玩具にされちゃったからなぁ。

大体、チアとかボウリングとか落語とかナイスライスとか、何だったんだろ? あと、 つんく♂シアター も。あの暗黒期が、多数のファンを苦しめた(>_<)

でも、「ポッシボー人気のトドメをさした」のは、 MM学園 の一連だったなぁ。キャナァーリ倶楽部は文字通りトドメ刺されちゃったし(>_<)

そんなポッシボー低迷期を救ったのは、皮肉にも バクステ だったりする訳で。つんく♂ちゃんの興味がバクステに移り、ポッシボープロデュースから離れた結果、V字回復が始まったのだから。笑

マネージャーがubkt体制からnghm体制に替わり活動を見直せたコト。コレがポッシボーV字回復の一翼を担ったのは間違いない。

ポッシボーV字回復以降の歴史を知るファンは多いが、だからこそ、「何故低迷したのか?」と疑問に感じてるんじゃないかね?決してメンバーが悪かった訳じゃ無い。



、、、話戻して2006年デビュー当初からポッシボーは、生歌だしフリートークだし、その「ライブ感」はハンパなかった。

2006年、ポッシボー登場。ソレはベリ℃の様な華々しいものでは無かった。ハロプロエッグに注目していた一部のファンだけのものだった。

だので、活動初期の2006年11月辺りは、現場はいわゆる「地下㌦ファン」が半数、ハロヲタ半数なんて勢力図だった。笑

その勢力図が大きく変わったのが、2006年末。何が切っ掛けかは忘れたが(ハロプロイベの谷間だったかな?)一気にハロヲタ勢力が大量到来して、結果地下㌦ファン層は駆逐、ハロプロ色の強い現場になったんだよね。

2007年冬ハロ紺にポッシボー出演で、一気に名前が広まったTHEポッシボーハロプロヲタの現場流入が続く一年になったんだ。

あッッ!ポッシボー初の「アンオフィ写真」が出回ったのが、2007冬ハロ紺の「連邦軍の衣装」のやつ。 屋台で売られる写真みて「ポッシボーここまで来た」って泣いたっけ。笑

2006年デビュー当初から変わらぬポッシボーの「凄さ」は、生歌とフリートーク力。 当初からMCはフリートークで毎イベ違う、ソレだけでも当時のハロプロとしては驚きだった。笑

2007年頃は、毎週の様に無料イベを開催していたポッシボー。来やすいのもファン拡大の一因だったのかな? 福田花音が観に来たコトもあったっけ。笑

今思えば、そんなポッシボー界隈がオカシくなったのが、、、2007年春にキャナァーリ倶楽部が結成されたコトだったのかも。

キャナァーリ倶楽部に 厄介な地下㌦ヲタが流入し、ソレがポッシボー界隈にも、、、ってコトで、現場が荒れ出したのもこの時期からだったなぁ(>_<)

結果、「ポッシボー現場=厄介」みたいなレッテルが2012年位まで貼られたままになったのだから、今思えば不幸な話だよなぁ(>_<)


とは言え、イベ毎にファン数が増えて行ったポッシボー。石丸イベの動員数記録を毎回更新、遂には入場券の為に、徹夜組や列が万世橋の向こうまで続くまでになった。

2007年のポッシボー。この一年間で動員は倍増、2008年のメジャーデビューへと繋がって行くのだが、人気急上昇の理由は、良曲に恵まれたりアイドルブームだったからだけじゃない。


2007年、ポッシボーが人気急上昇した最大の理由。ソレは「ハロプロファンの支持」があったからで。エッグで活躍する唯一のユニットだったし、2007夏ハロでは「ハロプロのニューカマー」と紹介されたり。

THEポッシボーは「ベリ℃に続く第3のユニット」「ハロプロエッグのエース」ってな捉え方でハロプロファンに支持されていた2007年。そりゃ人気はでるよねぇ。笑


ただ、そんなポッシボーに逆風が吹き始めたのも、2007年だったりして。アイドルブームでAKBの台頭、秋にハロプロ卒業発表、そしてハロプロエッグ本格始動が始まった。

AKBの台頭で石丸界隈の地下気質ヲタはソッチに流れた。ハロプロ卒業で兼ヲタは去っていった。そしてエッグ本格始動でエッグヲタは来なくなって。で、ポッシボー黒歴史へと突入して行くのだった。

2007年のポッシボー。そう言う意味でもその人気は「砂の城」、危うい中での大人気であった訳で。ポッシボーの「地下ノリ」に馴染めなかったハロヲタは去り、接触厨はAKBに去りして、黒歴史へと突入して行くのだった。


歴史に「if」は無いが、もしあの時、ハロプロ卒業が無ければ、地下ノリがハロプロファンに受け付けられていたら、ポッシボーは遠回りせずに行けたのになぁ(>_<) ってね。笑


2007年夏には、「ハロプロのニューカマー」と称され大人気とのたポッシボー。だが秋にはハロプロ卒業、そしてハロプロエッグ本格始動開始で、ファン界隈に暗雲が。

更に当時はアイドルブームでAKBやら地下㌦やらが多数乱立し始めた時代。接触厨やら認知厨は、ポッシボー現場からソッチへドンドンと流出して行った。



さて、核心の話。一時は多数のファンが集ったポッシボーだが、その後、動員が苦しい時期を何年も過ごすコトになる。時代とかプロデュースとか問題もあったが、ソレは真の原因じゃ無くて。

当時のポッシボーの活動。リリイベ握手会など現場メインで、メディアやwebには全く登場しない。おまいつと新参の壁があったり、既存ハロプロヲタからはその活動を地下ノリと疎まれがちだったり。

一方、認知厨接触厨なヲタにはポッシボーは物足りない。よりガチな地下㌦は当時沢山居たから、ソッチへ流れて行った訳で。

結局、当時のTHEポッシボーは、、、「中途半端」だったんだろぅね。ハロプロヲタからは地下ノリを疎まれ、地下㌦ノリのヲタからはヌルぃ対応を疎まれ、ヲタは去っていった。だがソレは彼女たちが悪かった訳じゃ無い。




ポッシボーの6人。ハロプロエッグのエース、選抜メンバーの6人、ってコトで、彼女たちには共通点があった。ソレは、、、「そつなくこなす」って処。



歌もダンスも得意だし、頭の回転も良い。何かやらせてもそつなくこなす才能を持った子たちだった。ソレ故に、観てるファンからすると、「アツさ必死さが足りないなぁ」って見えがちで。
逆に当時の℃-uteはアツかったからね。笑

才能有る故に、必死さを感じられないポッシボー。「努力根性」的なモノが好きなアイドルヲタには、必死なエッグや℃-uteや地下㌦のが輝いて見えたもんなぁ。 そして現場から人が減って行った訳。

そしてドンドンと迷走し続けた2009〜2011年。マンネリと停滞感からファンは減り続け、またイベ自体も無くなり、ジリ貧状態に陥っていった。





、、、ってコトで、2006年デビューから初単独、そしてその後の凋落期へ至る昔話は終わり。 2008年初単独、NGP!ツアー、MM学園などの「どん底期」は、運営への恨み節にしかならないから書きません。笑 2011年春以降必死になったから「V字回復」に繋がるストーリーが理解できたと思うの。

2011年春以降、必死な姿を魅せられるようになったポッシボー。 それまでの数年間、才能有る故に何して良いか、戸惑ったンだろぅね。 ソレが吹っ切れたのが、2011年秋の「ポッシボーあと半年か?」な訳だろぅ。