AKB48がヒットした本当の理由。

かつては同じ秋葉原をスタート地点として結成された、THEポッシボーAKB48
4年前の2006年、秋葉原駅の改札を降りて、一方は石丸電機へ、一方はドンキホーテ側で向かった2つのユニットのファン達。
当時はどちらも同じ様な規模のファンシーンであったのに、、、
4年経って、一方は紅白歌合戦に出場し、海外公演、武道館公演を行い、「国民的アイドル」と称されるまでにそのファンシーンを拡大し、
もぅ一方(我が軍だ)は、圧力鍋や接着剤の唄を歌い、SSA(の傍のライブハウス)/横アリ(の隣のライブハウス)でライブを行う様な、「半地下」アイドルちゃんと揶揄されるよぅな状況だ。


この「差」は、一体何故なんだろ?
つんく♂プロデュースの失敗事例は、ウチの日記で厭に成る程挙げてきた。

今度は逆に、敵陣の成功事例を挙げて、ウチの再飛躍に向けた糧としようではないか!


と、言うコトで、、、


コチラ→AKB48がヒットした本当の理由
まぁ、リンク先の記事の後半は自分の宣伝で見る価値は無いのだがw、前半では、「既存の問題点」そして「ヒットの理由」のサワリのいくつかの事例を挙げていて。

それは、

今のエンタテインメント業界やその制作会社は、たいてい一人のカリスマに依存して、彼が才能を発揮しているうちはいいけれど、そうでないとすぐ組織の解散に追い込まれる――というパターンがよくある。

まさにつんく♂氏に依存して、危機的状況にあるハロプロのコトだよね。笑

そのヒットの最大の理由は、これは本当に誰も不思議なくらいに語らないのだけれど、秋元康さんの曲作りというというのがある。彼のこれまで作ってきた数百を数えるAKB48の持ち歌が、メンバーやファンに有名無形の多大な影響を及ぼしてきた。それを語らずして、今のAKB48を語ることはできないのである。

その中で彼女が語っていて印象的だったのは、「夕陽を見ているか?」の中に出てくる歌詞が、それを歌っていた当時の自分の状況にシンクロしており、公演で歌うたびに泣きそうになったのだという。

この話に追記したい。

  • 持ち歌が、メンバーやファンに有形無形の多大な影響を及ぼして〜

歌、そして歌詞だけが、ファンの心を捉えたのでは無くて、彼女たち自身の「成長の様」が、ファンの心を捉えたんだよね。

初めはドンキの上の子汚い劇場で、その幕を開けたAKBだ。
最初期は、ステージ上のメンバーの方が観客よりも人数が多かった時が何度もあったとか。
が、そのステージ上で一生懸命頑張る子達を見て、ピンときた初期ファンが居て。
そして、劇場での公演内容やメンバーのスキルの向上を目の当たりにして、ファンが段々と増えて行く。
ファンが増え人気が出て来るに合わせて、テレビメディアへの進出、さらなる飛躍。
そのメンバーの成長や飛躍の様をオンタイムで感じ、共に成長する姿を体感し共感出来て、ファンも一緒に成長してる感を感じるコトが出来て。
メンバーが歌詞にシンクロし共感するよぅに、ファンもメンバーの成長の様にシンクロし共感する。
アイドルファンの多くの人の想い。それは「可愛い女の子がキャーキャー言ってる」のが楽しいのでは無く、「彼女達が成長していく様をオンタイムで感じられる」からなんだよね。

そしてAKB48は、「共に成長する感」ってモノを、ファンに提供するコトが出来たから、国民的アイドルちゃんにまでファンシーンが広がった訳。


、、、ってのは、別にAKB48が確立した「ビジネスモデル」な訳じゃあ無くて。
この話を読んで、皆にも既視感を覚えるだろぅ。


そぅ、初期のモーニング娘。が成し得たモノ、その工程と全く同じだからだ。

  • オーディション落選組を集めてユニット結成
  • 手売りでノルマ未達成なら即解散
  • ファンと共に全国を周っての手売りでノルマ達成→メジャーデビューへ!

ってな、「汗と努力と根性」の物語。
その物語を、逐一テレビで放映し、彼女達の成長の様をファンと共感させ、共に成長していくかのような高揚感をファンに与えて。

だからモー娘。は国民的アイドルちゃんへの一歩を踏み出せたンだ。


AKB48が上手く廻り続けている理由。
それは、そんな「ファンとの共有感」を上手く利用し続けているからだろぅ。
綿密にファン心理を研究し、「ファンの望むモノ」を手を品を変え、常に新鮮なネタを提供し続けている。
鮮度を保つ為、そしてファン共有の為の、総選挙だったり、メンバー入れ替えだったり。

特に「総選挙」なんてそぅだよね!?
ファン人気の無い子は、クビなんだから。
ファンとしては自分の推しメンの為に一生懸命に応援するコトによって、彼女はユニットに残るコトが出来る訳だし、
メンバーとしても、自分の人気を保つ為にファンが喜んでくれるコトは何か?を真剣に考えざるを得ない。

ファンの望むモノと、メンバーの望むモノが同じベクトルを持っていて。
その「一体感」がファンを熱狂させ、ファンシーン拡大に繋がってきた。


ってコトなのだろぅ。


さて、話を我が軍に戻そうか。
初期のポッシボーにも、この「一体感」というのがあった。
当時はBerryz工房、℃-tueがデビューし(同様の手法で)ファンを獲得していた時期だ。
「THEポッシボーもソレに続くんだ」って期待感と、彼女たち自身も日々ドンドンと成長してる姿をファンに魅せてくれていた。
彼女たちの成長と、期待感がシンクロし、その成長の様を見られる高揚感をファンに与えてくれていた。

が、その一方で、ファンには「違和感」があったのも事実で。
ソレは、、、「楽曲への不満」ってコト。
昭和歌謡風味。の「初恋のカケラ」。突如メシネタ曲の「主食=GOHANの唄」。突然ゴスロリの「HAPPY15」。
ソコにはコンセプトも何も無くて、単なるつんく♂氏の思いつきにしか思えない楽曲で。
ファンの想いとか、望みとか、そぅいったモノが一切無い、ファンの共感を得ようとする気が全くない楽曲の数々。

それでもまだ、2008年3月までは、ファンはポッシボー(をプロデュースする事務所)を信じていた。
共に成長して、共感する対象として彼女たちを感じるコトが出来た。


そんな「想い」を、ブチ壊してしまったのが、メジャーデビュー曲の「家族への手紙」と「初単独ライブ」だろぅ。
「ラヴメッセージ」「HAPPY15」と続けざまにアゲ感の強いPOPな曲で盛り上がって来たところでの、家族の辛気臭い歌。
彼女たちのライブの最大の魅力だった「台本の無いMC」を全て封印した、脚本通りの初単独。


あ〜ぁ(>_<)


2008年からのポッシボーのプロデュースは、ホントに酷かった。
ベリ℃の「選民イベ方式」が嫌になってこの界隈に流れて来たファンに、「いじわるClazy Love」イベでは、まさかの選民イベ方式でファンの心を挫いてみたり。
FCイベでは試供品を「プレゼント」と称して配ってみたり。
落語やボウリングにメンバーの時間を費やし、ソレはファンには還元されず。
挙句の果てには、ファン排除のチアリーディング活動だ。

ファンを苛立たせる、ファンを蔑ろにしたプロデュースを繰り返して。


コレでまだ100数十人のファンが残っているコト自体が、どれだけ「奇跡」なんだろぅか!?
カリスマプロデューサーのつんく♂氏に陶酔してるから、ファンが残っているのでは無い。
ポッシボーのファンは、もぅTNXを見限ってる。
が、ポッシボーの5人が居るから、ココにロビンが居るから、未だにファンで居るンだ。


何度も何度も何度も何度も繰り返すが、「アイドルが売れる」のは、それ程難しいコトじゃあ無い。
単純に、

  • ファン視点のプロデュース

を行えば良いだけだ。
(大前提としてメンバーやユニットに魅力や才能が有る必要はあるが)

THEポッシボーの5人には、ソレ(魅力)は既に十分に持っている。
あとは、ファンが望むプロデュースが行われるか否か!? だけなのだ。


まだ望みはある。
10月6日に発売される新曲「私の魅力」、コレの出来栄え如何で、THEポッシボーの運命は決まるだろぅね。

、、、この新曲のタイトルが、「●●でバコーン!」とか、「回転寿司のナンチャラ」とか、「バイトの美人ママ」とかで無かっただけでも、まだ望みがあると信じてる。

信じてるょ!!!(>_<)!!!