Be Possible。

Robin4You2009-01-30


「可能性を信じて」 ってのは、決して掛け声だけじゃあ無くて。  ってな話。


2007年頃は、彼女たちを見て「なんでBerryz工房℃-uteのように『ブレイク』しないンだろ?」ってズット不思議だった。
けど、今ならその「理由」が見えてきた。


THEポッシボーってユニットは、はじめから順風満帆な船出をした訳じゃあ無い。
その「成り立ち」を振り返ってみようか。。。

先ずは「TNX」の結成が2006年10月にあって。
何故つんく♂氏は、TNXを設立したのだろぅか?
まぁ、泥臭い「大人の事情」もあるだろぅが、そうでは無い話としては、、、
ハロプロの商業的な仕事、つまり「売れるコトが最優先」の仕事では無くて、

  • 自分のやりたい音楽
  • 自分が試してみたい音楽

の実現の為に、TNXを立ち上げたンじゃないのかね?

ハロプロは巨大な組織になってしまって。
初期娘。が活躍した時のような自由闊達さは既に無くて。
挑戦的なチャレンジはもぅ出来ない。
「売れるコト」を第一義に求められる場になってしまって。


そんな「売上至上主義」から一歩引いて、自分のやりたいコトを実現出来る場を作ったンじゃないのかね??

丁度その時、つんく♂氏の目の前にポッシボーの6人が居た。
それはきっと、「偶然」でしか無かったと思うの。
偶然、出会うコトになった。

一方、UFAとしては、ポッシボーの6人は「将来のエース候補生」だったに違いない。
橋本愛奈、ストューカスロビン翔子は「34丁目の奇跡」に出演していたし、その他のメンバーも「劇団オンライン公演」にと、活躍をさせてもらっていた(秋山ゆりか除)。
そして、つんく♂氏がTNXで試した「成果」を、ベリや℃にフィードバック出来れば良い。と別組織の結成にOKを出したのだろぅ。
で、そんなつんく♂プロデュース「第一段」にポッシボーの6人を送り込んだのだろぅ。



さて、そんなTNX、UFAそしてつんく♂氏は、端っから「ポッシボーをメジャーしよぅ!」なんては考えては居なかったろぅ。
それは彼女たちのリリースした曲を見ればわかる。
コチラ→THEポッシボー MVアーカイブス - ぽっし★キャナ?

  • ヤングDAYS!!
  • 初恋のカケラ
  • 主食=GOHANの唄

それは、

  • メガネに聖子ちゃんカット
  • 連邦軍の制服
  • エプロン姿

と、とても「キャッチー」なモノじゃあ無いし、コンセプトもバラバラだ。
かなり「実験的」な風味。 どっちかと言えば、つんく♂が楽しんでる、やりたいコトをやっているだけ。ってな風味。だったよね。
当時を知ってるポッシボーファンが、今どれだか居るか分からないけど、「これじゃあ売れないよね。苦笑」ってファン自身が思ってた。
けど、どうしてこんなになってたか?ってのは、ポッシボーというユニットを売り出す訳じゃあなく、彼女たちは「テストタイプ」だったからだろぅ。
「赤字が出ない位でチョイチョイやれれば」「後は楽しければ良い」ってな上層部の意向があったンじゃあないのかね?


けど、ね。
現場のスタッフはそうじゃ無くて。 
彼女たちの頑張りを肌で感じている現場スタッフにとって、ポッシボーの6人は、自分の子供のように可愛いものだろぅ。
だから、彼女たちの為に、一生懸命になって売り込みしたり駆け回ったり。

そしてポッシボーの6人にとって、彼女たちにとっては「唯一の存在」が、THEポッシボーな訳で。
「このユニットで、メジャーになるんだ!」って、後戻りのできない覚悟と夢と希望を持って活動していたに違いない。


例えば、ね。 ハロプロの「Berryz工房」。 彼女達は、始めっから「売れるコト」を第一義に至上命令として生まれたユニットだ。
当時のハロプロは、ローティーン市場に打って出る「駒」が無かった。
辻加護人気で、少女性愛者の購買層がある、新規開拓市場があるコトはUFAにも判っていて。
で、その市場の開拓と覇者になるべく、投入してきたのがBerryz工房だ。
大々的なプレゼンと投資を行った結果、彼女達はブレイクした。

そんな「売れる」ユニットでは無く、つんく♂氏が色々試す「テストタイプ」としての役割が、THEポッシボーだったのだろぅ。
だから、毎回コンセプトが違って。 だから視点が定まらなくて、人気が中々出なくて。
けど、それは事務所のデスク組には想定の範囲で。  けど、現場スタッフはまた意見が違っていて。  みたいな複雑な関係性。



で、だ! 2006年の3ヶ月の活動で、意外にも人気が出てきて。
で、つんく♂氏は思ったに違いない。
ハロプロのステージに上げたら、どんな風になるだろ?」ってね。

2007年冬ハロ。  THEポッシボーが初めてハロプロファンの前に「お披露目」された。

この時の話は、今でも覚えている。 チーフマネ氏が話してたコト。
うぶ<「ポッシボー出演は、急に決まった話なんだよねぇ」ってなコト。

けど、ね。 ホンダ。さん思うのだけど、ポッシボーがハロ紺に出演したのは、UFA側からのオファーじゃあなく、つんく♂氏がねじ込んだ。んじゃ無いのかな?ってコト。
大体当時「300人の精鋭」と言われたポッシボーのファンを目当てにハロ紺に出演させる程、UFAも甘くは無いだろぅ。
むしろ、つんく♂氏が、自分の「作品」をハロヲタに見せてリアクションを見たかったのと、ポッシボーの6人に、大ステージの感動を味あわせてあげる「ご褒美」の意味合いがあったのでは?  って思ってる。


「テストタイプだから」「チョイチョイ売れれば良い」ってな存在だったポッシボーに転機が訪れて。
2007年夏ハロで初披露された、ポッシボーの新曲。

ポッシボーのファンによりも先に、ハロプロ現場で初披露となったこの曲。

恐らくUFA側は、ポッシボーをベリ、℃に続くハロプロのユニットとして売りだすつもりだったのだろぅ。
けど、その一方で、「ナイスガールプロジェクト」の話も動いていて。
なにより、つんく♂氏が、彼女たち6人を手放したくなくなっていたのだろぅ。


当時、2007年夏にチーフマネ氏がボヤぃていたコトを思い出した。
うぶ<「夏ハロ出演の予定が、突然変わったりしてイベ日程が立てられない」 みたいな話をしてたっけ。

色んな駆け引きがあったのだろぅ。

結果、彼女たちはハロプロを卒業し、ナイスガールプロジェクトの「エース」となって活動していくコトになる。



さて、話が長くなってきたので、続きはいずれ。

最後に一言書いておこう。
初期には「テストタイプ」でしか無かった6人が、メジャーデビューして、オリコン4位にもなった。
これは、、、ポッシボーの6人が、一生懸命頑張って、自分たちの努力で勝ち取ったモノなんだよ!
初めから敷かれたレールに乗った訳じゃあ無くて、自らの意思で、勝ち取ったモノなんだ!!

ロビンさんの努力や熱意が、デスク組みの意識を変えさせて。

だから、「可能性を信じて」ってコト。

Be Possible。ってコト。