何時だって彼女たちは運命を受けれてきた。

さて、6月10日のshowroom上で

ロン<「本日24時にポッシボーからお知らせあるので」
ロン<「ホームページをチェックしてください」

との告知があり、そして、、、

THE ポッシボーより大切なお知らせ | チャオ ベッラ チンクエッティ オフィシャルブログ Powered by Ameba

THE ポッシボーより皆さんにお知らせ

みなさん、いつも温かい応援ありがとうございます。
突然ですが、この度、THE ポッシボーは7月8日より
ユニット名を「チャオ ベッラ チンクエッティ」に変えさせて頂くことにしました。
びっくりさせてごめんなさい。

メンバーみんなで話し合い、THE ポッシボー最大の「チェンジ」として、“ユニット名の変更”を行うことが、今後の私たちの進化を後押ししてくれるのではと考えました。

このユニット名の変更。ってコトに怒り(?)を覚えるファンも多かったようだ。 名称って想い出深いものだもの。


けど、ね。
THE ポッシボーの5人は、活動初期からズッと運命を受け入れてきた訳で。


皆さんもメンバー自身の発言ではご存じだろぅが、ポッシボーは2年近く新曲をリリース出来ない時期があった。
と、言うよりも、2008年のメジャーデビュー以降に、ライブで盛り上がる曲。ってのが全く無くて、2010年頃は

  • ラヴメッセージ
  • HAPPY15

のインディーズ曲しか盛り上がる楽曲が無かったよぅなユニットだったんだ。

さらにこの暗黒期は、ライブやらずに芝居やらチアやらゴロゴロベッドやら、今のライブアイドルとは程遠い活動しかさせて貰って無かった。
そして人気無くなって、遂には浅草路上ライブまでに落ちぶれて。


そんな時期に、ファンはメンバーにこんな話をしていて。
「今ってさ、動画配信とかの色んな表現方法がる」
「自分たちでナニか仕掛けてみれば?」
ってね。

実際この時期にブレイクした、きゃりーぱみゅぱみゅは動画配信からスターになったりした時代だったし。


が、ロビンたちメンバーは、そんなスタンドプレイに走る事無く、事務所のスタッフと共に苦しい時期を乗り越える道を選択したんだ。


まぁ、彼女たちには「追い風」があった。
2011年春に、マネージャーが替わり運営側の体制が一新。コレが切っ掛け追い風になり、全てが良い方向にッッ!! 
ポッシボーのメンバー自身が企画に携わる(口を出せる)環境となった事で、ライブ活動が再開。
浅草路上ライブからではあったが、メンバー5人には悲壮感は無かった。「再び歌が歌える」って喜びの方が勝っていたからだろぅね。
そしてアイドルフェスに参戦、そのパフォーマンスの高さをドルヲタに見せつける事となっていって。


2011年の10月、THE ポッシボー結成6年目のこの年に、こんなフライヤーが配られた。

この時も、ファンの意見は二分した。
「解散詐欺かw炎上商法だなww」って冷ややかな目と、
「あぁ、マジでポッシボー終わりか」ってお通夜な意見と二分した。

まぁ、この話は2012年3月、あっきゃんの「辞めません」宣言と共にマジだった事が判明する訳だが。
コチラ→幸せの証 | 秋山ゆりかオフィシャルブログ Powered by Ameba

、、、と、こんなコトが出来る位、スタッフと一緒にTHE ポッシボーを作ってきたメンバーたちだ。


そして2015年。 事務所移籍と共に、ユニット名の変更という大事件が起こった。

が、今回の件も、「THE ポッシボー」という歴史の中で言えば、何度もあった大波のヒトツでしか無い。
今までだって乗り超えた。 超えたどころか飛び越えて次のステージへとレベルアップして来たンだよね。

  • チャオ ベッラ チンクエッティ


良いじゃないか。