伝説。

珍しく、今日はハロプロの話を書きます。
ってコトで、、、



今を遡るコト2005年頃の話。
ハロプロキッズからBerryz工房がデビュー。 残された子達はナンて呼ばれていたか? 覚えているだろぅか? 
彼女達は「非ベリ」「要らない子」とか言われて、その他大勢的な扱いをされて。
そんな悔しい状況の中、彼女達の魅力実力に気づいたファンが応援を続けて。

  • 「負けるもんかッッ!」ってファンとメンバーの想い


そんな共感の中、2006年冬にオリジナル曲を貰い、インディーズデビューを果たし、2007年2月に初単独を大成功に導き、そのままメジャーデビュー。
そんなレジェンドを作ったのが、℃-uteだ。


そんな初期℃-uteを知ってるファンなら、その時に体験した高揚感を忘れては居ないだろぅ。
メンバーとファンが共有した、「一緒に大きくなろぅ!」ってな高揚感と「この子達は間違いなくメジャーになるッッ!」って才能の輝きを見出した高揚感。
この子達は、Berryz工房に選ばれなかった要らない子じゃあ無い、非ベリなんかじゃ無い。豊かな才能を持った子達なんだッッ!
そんな子達の成長を見てみたいッ!応援してあげたいッッ!  ってなファンの想いと高揚感。


そして彼女達はメジャーになっていった。


℃-uteは、Berryz工房が切り開いた、ハロプロのロリコン層への直球戦略でプロモーションされ、見事にヒット!! イベ毎にヲタ動員が増加し、イベ会場は徹夜組が当然の状態にまで拡大、成功を収めた。


そんな「ハロプロの正統派」から遅れるコト1年。 THEポッシボーは結成された。
色んな思惑もあり、ポッシボーはハロプロ主流のプロモーションでは無く、地下?的な活動を行った。

が、その為にハロプロ至上主義者のキモヲタ層にはポッシボーは理解されず、ハロのキモヲタと「ポッシボーの200人の精鋭達」の間に軋轢が生じて行く歴史が生まれた訳で。


運命って過酷だ。
THEポッシボーの6人が、仮にハロプロ正統の道を歩んでいたら、今頃はロビンがハロプロのリーダーorキャプテンに選出されていたかも知れない。

が、ソレはあくまでifの話でしかない。


けど、ね。
コレだけは事実として言えるの。


THEポッシボーの歴史。  それは℃-ute以上に「負けねえぞッッ!!」ってな、反骨精神バリバリの歴史で。

結成初期からズッとその成長の姿を観てこれたコト、ホントに誇らしく思うわ。