昔話。

THEポッシボーの歴史を振り返ると、、、
そのファンシーンが大きく入れ替わった時期が、何度かあった。


2006年8月に結成された頃、ポッシボーのイベに来ていた層。ってのは、

  • (地下)アイドルヲタ+エッグヲタ+ハロプロヲタ

の3mix状態で、150人規模だった。

当初、秋葉原(石丸)を中心に活動を始たポッシボー。当初はアキバ系地下ドル好きな層も、多くポッシボー現場に来ていたよね。
(コレが第一期になる)
が、10月にロビン、ごとぅー、かえぴょんの「2期メンバー」が加入し、オリジナル曲「ヤングDAYS!!!」が発売されてから以降、現場の層が変わり始めた。

ってのが発生した事もあるが、ソレ以上にハロヲタが大流入し始め、地下ドル層が駆逐されていった。


結果、2006年末、2007年始のイベでは、

で占められるよぅになってきた。
(コレが第二期)
ハロヲタ流入の理由は幾つかあって。
ハロイベの合間に、丁度ポッシボーイベがあって、「ついでに」って来るだとか、ベリ℃エッグの代替としてポッシボーを楽しむ的だったり、ハロのユニットの中、一番ハードルが低い(無銭、頻繁、握手etc)だとか、
そんな理由でポッシボーのイベに来るハロヲタ層が多数現場に来るよぅになった。

そして、2007年のあの熱気時代、石丸Soft2の入場抽選の為に徹夜するだとか、入場列が万世橋の向こうまで、、、ナンて時期を迎えた訳だ。


で、だ!
そんな上昇ムードが徐々に変わっていったのが、、、2008年。
3つの出来事が、ポッシボーに来ていた多数のヲタを奪って行った。
ソレは、、、

  • AKB48の台頭
  • 初単独の失敗
  • ハロプロエッグ活動本格化

この3つがあったからだ。

「アキバのアッチ(ドンキ)とコッチ(石丸)」と呼んでいたこの頃。  
ポッシボーイベに入れなかったヲタが、暇つぶしにアキバのアッチ側に行って、、、「ミイラ取りがミイラになる」事例が多数発生。
ポッシボーイベ待ちの石丸の1Fのソファーで、AKBのトレカを広げるポッシボーヲタの姿が増えた(そして現場から消えた)ヲタが多数。

初単独コンサが、ハロプロの劣化コピー演出だったコトに落胆し、現場を去ったヲタ。

エッグのライブ活動が本格化し、ソッチに帰って行ったハロヲタ。

新規ファンを獲得出来ず、ドンドンとファンが減って行ったこの時期。

ソレと同時に、キャナァーリ倶楽部が活動開始し、ソレに地下ドルヲタが乗っかり、ポッシボーイベに出入りするようになる。
(コレが第三期)

2011年末、クリスマスライブには100人を切るまでに没落してしまったポッシボー
あの頃が、一番底辺だったよなぁ。


けど、コッから「V字回復期」に突入する訳で。
2012年以降、スタッフ交代以降、ポッシボーが「攻め」に転じて、没落が一転、V字回復で人気急上昇。ファンも倍々ゲームで増えていった。
今のポッシボーファンの大多数が、コノ頃からのファンなんじゃないのかな?
今、現場の「おまいつ」と言われる輩は、概ねコノ辺からの人達だろぅし。

そして、、、面白いコトがw
2014年に入って、2006年当初からポッシボーを応援してきた古参層が★になっていく事例が多数wwww
老害が消えていくのは嬉しいコトだが、もっと前から消えればよかったのに。笑
まぁ、ソレは余談で。

2011年の対バンから始まった、アプガ(仮)との2マンライブ。そして吉川友も交えた「チーム負けん気」。更にハロ紺に参戦等々で、その界隈からのファンもポッシボーのライブやイベに来てくれるよぅになって。

7月12日のポッシボーイベ@渋谷ビクターには、当日アプガ(仮)イベ@高崎から廻してきた、「アプガ(仮)の偉い人」が多数参戦してくれたり、相乗効果が目に見えて現れるよぅになってきた。
(コレが第四期)




ってコトで、ポッシボーファンの歴史を振り返ってみた。笑