℃-ute。
日本武道館で単独ライブを実現するまでに成長した彼女達。
ポッシボーの新参ファンの中には、℃-ute界隈から転じた人達も多いみたいなので、敢えて今、こんな話をしてみよぅかと。
今の℃-uteファン。ってのも、もぅ世代が一廻りしてるんだろぅなぁ。。。みたぃな。笑
ってか、ウチの日記の読者でも、『ホンダ。先生が何故に℃-uteの話を?』って思ってる人も多いだろぅ。笑
、、、まぁ、ソレは良いw
では、、、
℃-uteってユニット。
℃-uteの『7人』は、そもそもは2002年にオーディションで選ばれた、『ハロプロキッズ』の15人から始まった訳で。
で、2004年に15人の中の8人が、『Berryz工房』としてデビュー。
結果残された7人は、『非ベリ』などとファンから呼ばれる存在として悔しい日々を過ごすコトになる。
Berryz工房として、華々しいスポットライトを浴びる8人に対し、残された7人には全く情報も活動も無い時間が続く。
、、、そんな彼女達は、やはり当時は悔しい思いをしてた!っては話は、後に色々と出て来たが、当時の彼女達のファンは、全く情報の無い中、ただ彼女達を遠くから応援するしか無かった。
「7人の子達は、決して『要らない娘』なんかじゃあ無い!彼女達は『醜いアヒルの娘』で、何時か白鳥として羽ばたくんだっっ!!」
って、当時の7人を応援するファン達は、そんな思いを抱いて、殆ど情報の無い彼女達を応援していた。
今と違って、メンバーのブログやTwitterも無い時代。
限られた情報は、FC販売のDVD位しか無い時代だった2005年頃、彼女達のファンは、ジッと待つしか無かった時代だった。
そして、、、
2006年に活動を本格化した彼女達。
SCイベで全国を回る。
イベ毎にファンのイベ動員数がドンドンと増えて行く。
そしてよみうりランドイベでは、3000人近いファン動員となる勢いがっっ!
彼女達は、『要らない娘』なんかじゃあ無い! ほら、この光景を、よみうりランドの芝生を埋めるファン数を見てみなょ!!
って、その場を体感したファンなら、皆思った筈だ。
2006年11月には、悲しい出来事もあった。
だが、ソレにも負けず、2007年にメジャーデビュー、そして日本青年館で初単独ライブを開催っっ!
ついに彼女達は、白鳥になったんだっっっ!!
、、、ってまでが、ホンダ。さんの記憶であって、ソッから武道館までの軌跡の理由は全く判らない。笑
総括すると、2004年〜2006年の℃-uteの『魅力』ってのは、
- 成長の物語
をファンに魅せてくれたコトが、醜いアヒルの娘が、やっぱり白鳥だった事が体感出来たコトが、
嬉しかったり楽しかったりした訳で。
けど、ね。
そんな℃-uteの道程を、THEポッシボーも辿るンだと思った2006年11月だったンだけど、、、
そぅはならなかった(>_<)
先輩格の℃-uteが日本武道館を、即完売。
その一方、我らがTHEポッシボーは、横浜BLITZEが苦しい状況。
当時の置かれた環境は、ドチラも同じよぅな、『負け組』的なポジションからの出発だった両者だ。
そしてドチラもプロデュースが優れていた訳でも、楽曲が優れていた訳でも、メンバーの優劣に差があった訳でも無い。
冷静に両者を俯瞰してみても、この2つのユニットのスキルに差は無いと思うの。
が、コンなに差がついた理由は、一体ナニなんだろ?
一方がハロプロ、一方が非ハロだからか!?
ソレだけじゃあ無いだろぅ。
急に話は翔ぶが、今のモーニング娘。には、ペドフィリア層の支持があって人気があるのは理解できる。
が、今の℃-ute人気は、そぅいった性的倒錯者層のキモヲタが居る訳では無いだろぅ。
- 歌が上手い、ダンスが上手い、メンバーが可愛い
とかとは違う魅力があるから、℃-uteのファンになったのだろぅし。
恐らく、そのあたりの感情を理解できると、ポッシボーの発展に応用できるんだろぅね。笑