没落。1

2006年夏、時東ぁみ座長公演「CRY FOR HELP!〜宇宙ステーション近くの売店にて〜」に出演する、ハロプロエッグの3人を称して「THEポッシボー@ハロプロエッグ」は結成された。

、、、ってか、ホンダ。ロビン翔子が加入して、本格的に活動を始めた、2006年晩秋から、THEポッシボーの歴史が綴られる訳だが。

一時は、日本青年館を満員にする勢いのファンシーンだったポッシボーだったのに、
今では田町の326でも箱半分の状況だ(>_<)

なんで、こぅなっちゃったンだろぅね?


2006年〜2007年は、「ベリ℃に続く、ハロプロのNEXT!」ってな風味。で、感覚鋭いハロプロファンが、どんどんとポッシボーイベに来るよぅになって、会場はイベ毎に観客が増えていった。

  • ハロプロ卒業→TNX移籍

のあった2007年秋。 
コレが没落の切っ掛けだった。 って意見もあるだろぅが、即観客が減る。って事は無く、その後も石丸イベは満員御礼が続く状況だった。

じゃあ、「ファンが減った切っ掛け」って何かと言えば、、、


2008年の「初単独」、そしてその後続く、「NGP!名阪神ツアー」やらの「2008年の一年間の活動」が、ポッシボー没落の主原因だったンじゃあないのかね?


初単独、そしてNGP!名阪神ツアー。
ポッシボーの最大の魅力である、「台本無しの面白さ」ってのが全て封印されて、台本通りの作られたコンサートで。
、、、これじゃあ、ハロプロと何が違うんだっけ??  コレならハロプロで良いんじゃね???

みたいな(>_<)

身の丈を超えた、無茶な大きさの箱でのツアーも、NGP!にはツラかったよね。
そして、この時期ハロプロでは「エッグ公演」が本格的に始まって、ハロカスヲタ属性の輩はソッチに盗られてしまったし。


TNXの戦略がダメダメだった。

ハロプロから離脱したのに、やってるコトがハロプロと何も変わらないし、客層もまるカブリで。


ポッシボーのタイミング、「アイドル戦国時代」の先駆けのタイミングだった訳で、運営のやり方が正しければ、今頃本当は、AKBホニャララの地位にポッシボーは居られたのに、
そしてロビンはホンダ。さんと結婚できていたのに(>_<)


初単独のプロデュースが、全ての失敗の始まりだったのかも、ねぇ。。。